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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

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兵衛志殿御返事(一族末代栄えの事)

 弘安元年(ʼ78) 57歳 池上宗長

 御ふみにかかれて候上、大にのあざりのかたり候は、ぜに十余れんならびにようようの物ども候いしかども、とうじはのうどきにて□□□□人もひきたらぬよし□□□□も及び候わざりけ□□□□兵衛志殿の御との□□□□御夫馬にても□□□□て候よし申し候。
 夫れ、百済国より日本国に仏法のわたり候いしは、大船にのせてこれをわたす。今のよど河より、おうみの水海につけて候ものは、車にて洛陽へははこび候。それがごとく、たといかまくらにいかなる物を人たびて候とも、夫と馬となくば、いかでか□□が命はたすかり候べき。
 □徳勝童子は、土の餅を仏に□□□□阿育大王と□□□□くようしまいらせ候いしゆえに、阿育大王の第一の大臣・羅提吉となりて、一閻浮提の御うしろめ、いわゆるおおい殿の御時の権大夫殿のごとし。これは彼らにはにるべくもなき大功徳。この歩馬はこんでいこまとなり、この御との人はしゃのくとねりとなりて、仏になり給うべしとおぼしめすべし。
 そもそもすぎしことなれども、あまりにとうとく、うれしきことなれば申す。
 昔波羅捺国に摩訶羅王と申す大王おわしき。彼の大王に二りの太子あり。いわゆる、善友太子・悪