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候に、兄弟二人のふたつの小袖、わた四十両をきて候が、なつのかたびらのようにかろく候ぞ。ましてわたうすく、ただぬのものばかりのもの、おもいやらせ給え。この二つのこそでなくば、今年はこごえしに候いなん。
その上、兄弟と申し、右近尉のことと申し、食もあいついで候。人はなき時は四十人、ある時は六十人、いかにせき候えども、これにある人々のあにとて出来し、舎弟とてさしいで、しきい候いぬれば、かかはやさに、いかにとも申しえず。心には「しずかにあんじちむすびて、小法師と我が身ばかり御経よみまいらせん」とこそ存じて候に、かかるわずらわしきこと候わず。また、としあけ候わば、いずくへもにげんと存じ候ぞ。かかるわずらわしきこと候わず。またまた申すべく候。
なによりもえもんの大夫志ととのとの御事、ちちの御中と申し、上のおぼえと申し、面にあらずば申しつくしがたし。恐々謹言。
十一月二十九日 日蓮 花押
兵衛志殿御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(179)兵衛志殿御返事(深山厳冬の事) | 弘安元年(’78)11月29日 | 57歳 | 池上宗長 |