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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

大王の十億の沙金を鶏頭摩寺にせせしがごとし。大小ことなれども、志はかれにもすぐれたり。
 その上、今年は子細候。ふゆと申すふゆ、いずれのふゆかさむからざる。なつと申すなつ、またいずれのなつかあつからざる。ただし今年は、余国はいかんが候らん、このはきいは法にすぎてかんじ候。ふるきおきなどもにとい候えば、八十・九十・一百になる者の物語り候は、すべて、いにしえこれほどさむきこと候わず。このあんじちより四方の山の外、十丁二十丁は、人かようこと候わねばしり候わず、きんぺん一丁二丁のほどは、ゆき一丈二丈五尺等なり。このうるう十月三十日、ゆきすこしふりて候いしが、やがてきえ候いぬ。この月の十一日たつの時より十四日まで、大雪下って候いしに、両三日へだててすこし雨ふりて、ゆきかたくなること金剛のごとし。いまにきゆることなし。ひるもよるも、さむくつめたく候こと、法にすぎて候。さけはこおりて石のごとし。あぶらは金ににたり。なべ・かまに小水あればこおりてわれ、かんいよいよかさなり候えば、きものうすく、食ともしくして、さしいずるものもなし。
 坊ははんさくにて、かぜゆきたまらず、しきものはなし。木はさしいずるものもなければ火もたかず。ふるきあかづきなんどして候こそで一つなんどきたるものは、その身のいろ紅蓮・大紅蓮のごとし。こえは、はは・大ばば地獄にことならず。手足かんじて、きれ、さけ、人死ぬことかぎりなし。俗のひげをみれば、ようらくをかけたり。僧のはなをみれば、すずをつらぬきかけて候。
 かかるふしぎ候わず候に、去年の十二月の三十日よりはらのけの候いしが、春夏やむことなし。あきすぎて十月のころ大事になりて候いしが、すこし平愈つかまつりて候えども、ややもすればおこり