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友太子なり。善友太子の如意宝珠を持ちておわせしかば、これをとらんがために、おとの悪友太子は兄の善友太子の眼をぬき給いき。昔の大王は今の浄飯王、善友太子は今の釈迦仏、悪友太子は今の提婆達多これなり。兄弟なれども、たからをあらそいて、世々生々にかたきとなりて、一人は仏なり、一人は無間地獄にあり。これは過去の事、他国の事なり。
我が朝には、一院・さぬきの院は兄弟なりしかども、位をあらそいて、ついにかたきとなり給いて、今に地獄にやおわすらん。当世、めにあたりて、この代のあやおきも兄弟のあらそいよりおこる。大将殿と申せし賢人も、九郎判官等の舎弟等をほろぼし給いて、かえりて我が子ども、皆所従等に失われ給う。眼前の事ぞかし。
とのばら二人は上下こそありとも、とのだにも、よくふかく、心まがり、道理をだにもしらせ給わずば、えもんの大夫志殿は、いかなる事ありとも、おやのかんどうゆるべからず。えもんのたゆうは法華経を信じて仏になるとも、おやは法華経の行者なる子をかんどうして地獄に堕つべし。とのはあにとおやとをそんずる人になりて、提婆達多がようにおわすべかりしが、末代なれどもかしこき上、欲なき身と生まれて、三人ともに仏になり給い、ちちかた、ははかたのるいをもすくい給う人となり候いぬ。
また、とのの御子息等も、すえの代はさかうべしとおぼしめせ。このことは一代聖教をも引いて、百千まいにかくとも、つくべしとはおもわねども、やせやまいと申し、身もくるしく候えば、事々申さず。あわれ、あわれ、いつかげんざんに入って申し候わん。
また、むかいまいらせ候いぬれば、あまりのうれしさにかたられ候わず候えば、あらあら申す。よ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(180)兵衛志殿御返事(一族末代栄えの事) | 弘安元年(’78) | 57歳 | 池上宗長 |