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ば、つきまいらせては不孝の身となりぬべく候えば、すてまいらせて兄につき候なり。兄をすてられ候わば、兄と一同とおぼすべし」と申し切り給え。すこしもおそるる心なかれ。
過去遠々劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬこと、これなり。
しおのひるとみつと、月の出ずるといると、夏と秋と、冬と春とのさかいには、必ず相違することあり。凡夫の仏になる、またかくのごとし。必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび愚者は退く、これなり。
このことは、わざとも申し、またびんぎにとおもいつるに、御使いにありがたし。堕ち給うならば、よもこの御使いはあらじとおもい候えば、もしやと申すなり。
仏になり候ことは、この須弥山にはりをたてて、彼の須弥山よりいとをはなちて、そのいとのすぐにわたりてはりのあなに入るよりもかたし。いおうや、さかさまに大風のふきむかえたらんは、いよいよかたきことぞかし。
経に云わく「億々万劫より、不可議に至って、時にいまし、この法華経を聞くことを得。億々万劫より、不可議に至って、諸仏世尊は、時にこの経を説きたもう。この故に行者は、仏滅して後において、かくのごとき経を聞いて、疑惑を生ずることなかれ」等云々。この経文は法華経二十八品の中にことにめずらし。序品より法師品にいたるまでは、等覚より已下人天・四衆・八部そのかずありしかども、仏はただ釈迦如来一仏なり。重くてかろきへんもあり。宝塔品より嘱累品にいたるまでの十二品は、殊に重きが中の重きなり。その故は、釈迦仏の御前に多宝の宝塔踊現せり。月の前に日の出で
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(176)兵衛志殿御返事(三障四魔の事) | 建治3年(’77)11月20日 | 56歳 | 池上宗長 |