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両火房は百万反の念仏をすすめて人々の内をせきて、法華経のたねをたたんとはかるときくなり。極楽寺殿はいみじかりし人ぞかし。念仏者等にたぼらかされて日蓮をあだませ給いしかば、我が身といい、その一門皆ほろびさせ給う。ただいまはえちごの守殿一人ばかりなり。両火房を御信用ある人はいみじきと御らんあるか。なごえの一門の善覚寺・長楽寺・大仏殿立てさせ給いて、その一門のならせ給うことをみよ。また守殿は日本国の主にておわするが、一閻浮提のごとくなるかたきをえさせ給えり。
わどの、兄をすてて、あにがあとをゆずられたりとも、千万年のさかえかたかるべし。しらず、またわずかのほどにや。いかんがこのよならんずらん。よくよくおもい切って、一向に後世をたのまるべし。こう申すとも、いたずらのふみなるべしとおもえば、かくもものうけれども、のちのおもいでにしるし申すなり。恐々謹言。
十一月二十日 日蓮 花押
兵衛志殿御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(176)兵衛志殿御返事(三障四魔の事) | 建治3年(’77)11月20日 | 56歳 | 池上宗長 |