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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(176)

兵衛志殿御返事(三障四魔の事)

 建治3年(ʼ77)11月20日 56歳 池上宗長

 かたがたのもの、ふ二人をもっておくりたびて候。その心ざし、弁殿の御ふみに申すげに候。
 さては、なによりも御ために第一の大事を申し候なり。正法・像法の時は、世もいまだおとろえず、聖人・賢人もつづき生まれ候いき。天も人をまぼり給いき。末法になり候えば、人のとんよく、ようやくすぎ候いて、主と臣と、親と子と、兄と弟と、諍論ひまなし。まして他人は申すに及ばず。これによりて天もその国をすつれば、三災七難、乃至一・二・三・四・五・六・七の日いでて、草木かれうせ、小大河もつき、大地はすみのごとくおこり、大海はあぶらのごとくになり、けっくは無間地獄より炎いでて、上梵天まで火炎充満すべし。これていのこといでんとて、ようやく世間はおとろえ候なり。
 皆人のおもいて候は、父には子したがい、臣は君にかない、弟子は師にいすべからずと云々。かしこき人もいやしき者もしれることなり。しかれども、貪欲・瞋恚・愚癡と申すさけにえいて、主に敵し、親をかろしめ、師をあなずる、つねにみえて候。ただし師と主と親とに随ってあしきこと諫めば孝養となることは、さきの御ふみにかきつけて候いしかば、つねに御らんあるべし。