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をくわず。天は賢人をすて給わぬならいなれば、天、白鹿と現じて乳をもって二人をやしないき。叔せいが云わく「この白鹿の乳をのむだにもうまし。まして肉」といいしかば、伯いせいせしかども、天これをききて来らず。二人うえて死ににき。一生が間賢なりし人も一言に身をほろぼすにや。各々も御心の内はしらず候えば、おぼつかなし、おぼつかなし。
釈迦如来は太子にておわせし時、父の浄飯王、太子をおしみたてまつりて出家をゆるし給わず。四門に二千人のつわものをすえてまぼらせ給いしかども、終におやの御心をたがえて家をいでさせ給いき。一切はおやに随うべきにてこそ候えども、仏になる道は随わぬが孝養の本にて候か。されば、心地観経には孝養の本をとかせ給うには、「恩を棄てて無為に入るは、真実に恩を報ずる者なり」等云々。言は、まことの道に入るには、父母の心に随わずして家を出でて仏になるが、まことの恩をほうずるにてはあるなり。
世間の法にも、父母の謀反なんどをおこすには、随わぬが孝養とみえて候ぞかし。孝経と申す外経に見えて候。天台大師も法華経の三昧に入らせ給いておわせし時は、父母、左右のひざに住して仏道をさえんとし給いしなり。これは天魔の父母のかたちをげんじてさうるなり。
伯い・すくせいが因縁はさきにかき候いぬ。また第一の因縁あり。日本国の人王第十六代に王おわしき。応神天皇と申す。今の八幡大菩薩これなり。この王の御子二人まします。嫡子は仁徳、次男は宇治王子。天皇、次男・宇治王子に位をゆずり給いき。王、ほうぎょならせ給いて後、宇治王子云わく「兄、位につき給うべし」。兄の云わく「いかにおやの御ゆずりをばもちいさせ給わぬぞ」。かくの
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(171)兄弟抄 | 建治2年(’76)4月 | 55歳 | 池上宗仲・池上宗長 |