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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

よいよ、へる心ね・すがたおわすべからず。定めて、女人は心ゆわきにておわすれば、ごぜんたちは心ひるがえりてやおわすらん。ごうじょうにはがみをして、たゆむ心なかれ。例せば、日蓮が平左衛門尉がもとにてうちふるまいいいしがごとく、すこしもへる心なかれ。わだが子となりしもの、わかさのかみが子となりし、将門・貞任が郎従等となりし者、仏になる道にはあらねども、はじをおもえば命おしまぬ習いなり。なにとなくとも一度の死は一定なり。いろばしあしくて人にわらわれさせ給うなよ。
 あまりにおぼつかなく候えば、大事のものがたり一つ申す。伯い・叔せいと申せし者は、孤竹国の王の二人の太子なり。父の王、弟の叔せいに位をゆずり給いき。父しして後、叔せい位につかざりき。伯いが云わく「位につき給え」。叔せいが云わく「兄、位継ぎ給え」。伯いが云わく「いかに親の遺言をばたがえ給うぞ」と申せしかば、「親の遺言はさることなれども、いかんが兄をおきては位には即くべき」と辞退せしかば、二人共に父母の国をすてて他国へわたりぬ。
 周の文王につかえしほどに、文王、殷の紂王に打たれしかば、武王、百箇日が内いくさをおこしき。伯い・叔せいは、武王の馬の口にとりつきて、いさめて云わく「おやしして後、三箇年が内いくさをおこすは、あに不孝にあらずや」。武王いかりて伯い・叔せいを打たんとせしかば、太公望せいして打たせざりき。二人はこの王をうとみて、すようと申す山にかくれいて、わらびをおりて命をつぎしかば、麻子と申す者ゆきあいて云わく「いかにこれにはおわするぞ」。二人上件のことをかたりしかば、麻子が云わく「さるにては、わらびは王の物にあらずや」。二人せめられて、その時よりわらび