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法華経・大日経の勝劣に迷える故なり。
今もまた、日本国、大蒙古国の責めを得て、彼の不吉の法をもって御調伏を行わると承る。また日記分明なり。このことを知らん人、いかでか歎かざるべき。
悲しいかな、我ら誹謗正法の国に生まれて大苦に値わんことよ。たとい謗身は脱るというとも、謗家・謗国の失いかんせん。謗家の失を脱れんと思わば、父母・兄弟等にこのことを語り申せ。あるいは悪まるるか、あるいは信ぜさせまいらするか。謗国の失を脱れんと思わば、国主を諫暁し奉って、死罪か流罪かに行わるべきなり。「我は身命を愛せず、ただ無上道を惜しむのみ」と説かれ、「身は軽く法は重し。身を死して法を弘む」と釈せられしは、これなり。
過去遠々劫より今に仏に成らざりけることは、かようのことに恐れて云い出ださざりける故なり。未来もまたまたかくのごとくなるべし。今、日蓮が身に当たってつみ知られて候。たといこのことを知る弟子等の中にも、当世の責めのおそろしさと申し、露の身の消え難きによって、あるいは落ち、あるいは心ばかりは信じ、あるいはとこうす。御経の文に「難信難解」と説かれて候が、身に当たって貴く覚え候ぞ。謗ずる人は大地微塵のごとし。信ずる人は爪上の土のごとし。謗ずる人は大海、進む人は一渧。
天台山に竜門と申す所あり。その滝百丈なり。春の始めに魚集まってこの滝へ登るに、百千に一つも登る魚は竜と成る。この滝の早きこと、矢にも過ぎ、電光にも過ぎたり。登りがたき上に、春の始めにこの滝に漁父集まって魚を取る。網を懸くること百千重、あるいは射て取り、あるいは酌んで取
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(170)秋元御書 | 弘安3年(’80)1月27日 | 59歳 | 秋元太郎 |