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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

し給うとも、必ず国も滅び、身も地獄に堕ち給うべき大いなる科あり。ただ真言宗・念仏宗・禅宗・持斎等の身を禁めて法華経によせよ。
 天台の六十巻を空に浮かべて国主等には智人と思われたる人々の、あるいは智の及ばざるか、あるいは知れども世を恐るるかの故に、あるいは真言宗をほめ、あるいは念仏・禅・律等に同ずれば、彼らが大科には百千超えて候。例せば、成良・義村等がごとし。慈恩大師は玄賛十巻を造って、法華経を讃めて地獄に堕つ。この人は太宗皇帝の御師、玄奘三蔵の上足、十一面観音の後身と申すぞかし。音は法華経に似たれども、心は爾前の経に同ずる故なり。嘉祥大師は法華玄十巻を造って、既に無間地獄に堕つべかりしが、法華経を読むことを打ち捨てて天台大師に仕えしかば、地獄の苦を脱れ給いき。
 今、法華宗の人々もまたかくのごとし。比叡山は法華経の御住所、日本国は一乗の御所領なり。しかるを、慈覚大師は法華経の座主を奪い取って真言の座主となし、三千の大衆もまたその所従と成りぬ。弘法大師は法華宗の檀那にて御坐します嵯峨天皇を奪い取って、内裏を真言宗の寺と成せり。安徳天皇は明雲座主を師として頼朝朝臣を調伏せさせ給いしほどに、右大将殿に罰せらるるのみならず、安徳は西海に沈み、明雲は義仲に殺され給いき。尊成王は、天台座主の慈円僧正、東寺、御室ならびに四十一人の高僧等を請下し奉り、内裏に大壇を立てて義時右京権大夫殿を調伏せしほどに、七日と申せし六月十四日に洛陽破れて、王は隠岐国あるいは佐渡島に遷され、座主・御室は、あるいは責められ、あるいは思い死にに死に給いき。世間の人々、この根源を知ることなし。これひとえに