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無間地獄に堕つ。例せば、勝意比丘・苦岸比丘の家に生まれて、あるいは弟子と成り、あるいは檀那と成りし者どもが、心ならず無間地獄に堕ちたる、これなり。
譬えば、義盛が方の者、軍をせし者はさて置きぬ、腹の内に有りし子も、産むを待たれず母の腹を裂かれしがごとし。今、日蓮が申す弘法・慈覚・智証の三大師の、法華経を正しく「無明の辺域、虚妄の法」と書かれて候は、もし法華経の文実ならば、叡山・東寺・園城寺・七大寺、日本一万一千三十七所の寺々の僧はいかんが候わんずらん。先例のごとくならば、無間大城疑いなし。これは謗家なり。
謗国と申すは、謗法の者その国に住すれば、その一国皆無間大城になるなり。大海へは一切の水集まり、その国は一切の禍い集まる。
譬えば、山に草木の滋きがごとし。三災月々に重なり、七難日々に来る。飢渇発れば、その国餓鬼道と変じ、疫病重なれば、その国地獄道となる。軍起これば、その国修羅道と変ず。父母・兄弟・姉妹をば簡ばず妻とし夫と憑めば、その国畜生道となる。死して三悪道に堕つるにはあらず、現身にその国四悪道と変ずるなり。これを謗国と申す。
例せば、大荘厳仏の末法、師子音王仏の濁世の人々のごとし。また報恩経に説かれて候がごとくんば、過去せる父母・兄弟・姉妹・一切の人の死せるを食し、また生きたるを食す。今、日本国またまたかくのごとし。真言師・禅宗・持斎等の、人を食する者、国中に充満せり。これひとえに真言の邪法より事起これり。竜象房が人を食らいしは万が一つ顕れたるなり。彼に習って人の肉を、あるい
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(170)秋元御書 | 弘安3年(’80)1月27日 | 59歳 | 秋元太郎 |