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日蓮は文永の大彗星のごとし、日本国に昔より無き天変なり。日蓮は正嘉の大地震のごとし、秋津洲に始めての地夭なり。
日本国に代始まってよりすでに謀叛の者二十六人。第一は大山王子、第二は大石山丸、乃至、第二十五人は頼朝、第二十六人は義時なり。二十四人は朝に責められ奉り、獄門に首を懸けられ、山野に骸を曝す。二人は王位を傾け奉り、国中を手に拳る。王法既に尽きぬ。これらの人々も、日蓮が万人に悪まるるには過ぎず。
その由を尋ぬれば、法華経には「最も第一なり」の文あり。しかるを、弘法大師は「法華は最も第三なり」、慈覚大師は「法華は最も第二なり」、智証大師は慈覚のごとし。今、叡山・東寺・園城寺の諸僧、法華経に向かっては「法華は最も第一なり」と読めども、その義をば「第二」「第三」と読むなり。公家と武家とは子細は知ろしめさねども、御帰依の高僧等皆この義なれば、師檀一同の義なり。その外、禅宗は「教外に別伝す」云々。法華経を蔑如する言なり。念仏宗は「千の中に一りも無し」「いまだ一人も得る者有らず」と申す。心は法華経を念仏に対して挙げて失う義なり。律宗は小乗なり。正法の時すら仏免し給うことなし。いわんや、末法にこれを行じて国主を誑惑し奉るをや。妲己・妺喜・褒姒の三女が三王を誑かして代を失いしがごとし。かかる悪法国に流布して法華経を失う故に、安徳・尊成等の大王、天照太神・正八幡に捨てられ給いて、あるいは海に沈み、あるいは島に放たれ給い、相伝の所従等に傾けられ給いしは、天に捨てられさせ給う故ぞかし。
法華経の御敵を御帰依有りしかども、これを知る人なければ、その失を知ることもなし。「智人は
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(170)秋元御書 | 弘安3年(’80)1月27日 | 59歳 | 秋元太郎 |