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答えて云わく、夫れ、小善・小悪は異なりといえども、法華経の誹謗においては、善人・悪人、智者・愚者ともに妨げこれ無し。この故に、同じく「阿鼻獄に入らん」と云うなり。
問うて云わく、何をもってか、日本国の一切衆生を一同に法華誹謗の者と言うや。
答えて云わく、日本国の一切衆生、衆多なりといえども、四十五億八万九千六百五十九人に過ぎず。これらの人々、貴賤上下の勝劣有りといえども、かくのごとき人々の憑むところは、ただ三大師に在り。師とするところ、三大師を離るることなし。余残の者有りといえども、信行・善導等の家を出ずべからざるなり。
問うて云わく、三大師とは誰人ぞや。
答えて曰わく、弘法・慈覚・智証の三大師なり。
疑って云わく、この三大師はいかなる重科有るによって、日本国の一切衆生を、経文の「その人」の内に入るるや。
答えて云わく、この三大師は大小乗持戒の人、面には八万の威儀を備え、あるいは三千等これを具す。顕密兼学の智者なり。しからば則ち、日本国四百余年の間、上一人より下万民に至るまで、これを仰ぐこと日月のごとく、これを尊ぶこと世尊のごとし。なお、徳の高きことは須弥にも超え、智慧の深きことは蒼海にも過ぎたるがごとし。ただし、恨むらくは、法華経を大日真言経に相対して勝劣を判ずる時は、あるいは「戯論の法」と云い、あるいは「第二」「第三」と云い、あるいは教主を「無明の辺域」と名づけ、あるいは行者をば「盗人」と名づく。彼の大荘厳仏の末の六百四万億那由
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(168)曽谷二郎入道殿御返事 | 弘安4年(’81)閏7月1日 | 60歳 | 曽谷教信 |