SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

給いしに、仏教はすぐれ神はおとりたりしかども、いまだよおさまることなし。いかなることにやとうたがわしかりしほどに、桓武の御宇に伝教大師と申す聖人出来して、勘えて云わく「神はまけ仏はかたせ給いぬ。仏は大王、神は臣かなれば、上下あいついでれいぎただしければ国中おさまるべしとおもうに、国のしずかならざることふしんなるゆえに一切経をかんがえて候えば、道理にて候いけるぞ。仏教におおきなるとがありけり。一切経の中に法華経と申す大王おわします。ついで華厳経・大品経・深密経・阿含経等は、あるいは臣の位、あるいはさぶらいのくらい、あるいはたみの位なりけるを、あるいは般若経は法華経にはすぐれたり〈三論宗〉、あるいは深密経は法華経にすぐれたり〈法相宗〉、あるいは華厳経は法華経にすぐれたり〈華厳宗〉、あるいは律宗は諸宗の母なりなんど申して、一人として法華経の行者なし。世間に法華経を読誦するは、還っておこづき、うしなうなり。これによって、天もいかり、守護の善神も力よわし」云々。いわゆる「法華経をほむといえども、返って法華の心をころす」等云々。
 南都七大寺・十五大寺、日本国中の諸寺諸山の諸僧等、このことばをききておおきにいかり、「天竺の大天、漢土の道士、我が国に出来せり。いわゆる最澄と申す小法師これなり。せんずるところは、行きあわんずる処にてかしらをわれ、かたをきれ、おとせ、うて、のれ」と申せしかども、桓武天皇と申す賢王たずねあきらめて、六宗はひが事なりけりとて、初めてひえい山をこんりゅうして天台法華宗とさだめおかせ、円頓の戒を建立し給うのみならず、七大寺・十五大寺の六宗の上に法華宗をそえおかる。せんずるところ、六宗を法華経の方便となされしなり。れいせば、神の仏にまけて門