1443ページ
の声を一こえきこしめして、眼を開き給う。白鳥二ひき、乃至百千いできたりければ、百千の白馬一時に悦びなきけり。大王の御いろなおること、日しょくのほんにふくするがごとし。身の力、心のはかり事、先々には百千万ばいこえたり。きさきもよろこび、大臣・公卿いさみて、万民もたなごころをあわせ、他国もこうべをかたぶけたりとみえて候。
今のよも、またこれにたがうべからず。天神七代・地神五代、已上十二代は成劫のごとし。先世のかいりきと福力とによって、今生のはげみなけれども、国もおさまり、人の寿命も長し。人王のよとなりて二十九代があいだは先世のかいりきもすこしよわく、今生のまつりごともはかなかりしかば、国にようやく三災七難おこりはじめたり。なお、かんどより三皇五帝の世をおさむべきふみわたりしかば、それをもって神をあがめて国の災難をしずむ。
人王第三十代欽明天皇の世となりて、国には先世のかいふくうすく、悪心ごうじょうのものおおく出で来て、善心おろかに悪心はかしこし。外典のおしえはあさし、つみもおもきゆえに、外典すてられ内典になりしなり。れいせば、もりやは日本の天神七代・地神五代が間の百八十神をあがめたてまつりて、仏教をひろめずしてもとの外典となさんといのりき。聖徳太子は教主釈尊を御本尊として、法華経・一切経をもんじょとして両方のしょうぶありしに、ついには、神はまけ仏はかたせ給いて、神国はじめて仏国となりぬ。天竺・漢土の例のごとし。「今この三界は、皆これ我が有なり」の経文あらわれさせ給うべき序なり。
欽明より桓武にいたるまで、二十よ代・二百六十余年が間、仏を大王とし神を臣として世をおさめ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(167)曽谷殿御返事(輪陀王の事) | 弘安2年(’79)8月17日 | 58歳 | 曽谷道宗 |