に花のさくがごとし。象牙草のいかずちの声にはらみ、柘榴の石におうてさかうるがごとし。
されば、この王、白馬をおおくあつめてかわせ給う。また、この白馬は白鳥をみてなく馬なれば、おおくの白鳥をあつめ給いしかば、我が身の安穏なるのみならず、百官万乗もさかえ、天下も風雨時にしたがい、他国もこうべをかたぶけてすねんすごし給うに、まつりごとのそういにやはんべりけん、また宿業によって果報や尽きけん、千万の白鳥一時にうせしかば、また無量の白馬もなくことやみぬ。大王は白馬の声をきかざりしゆえに、花のしぼめるがごとく、月のしょくするがごとく、御身の色かわり、力よわく、六根もうもうとしてほれたるがごとくありしかば、きさきももうもうしくならせ給い、百官万乗もいかんがせんとなげき、天もくもり、地もふるい、大風・かんばちし、けかち・やくびょうに人の死すること、肉はつか、骨はかわらとみえしかば、他国よりもおそい来れり。
この時、大王いかんがせんとなげき給いしほどに、せんずるところは仏神にいのるにはしくべからず。この国に、もとより外道おおく国々をふさげり。また仏法というものをおおくあがめおきて国の大事とす。いずれにてもあれ、白鳥をいだして白馬をなかせん法をあがむべし。まず外道の法におおせつけて、数日おこなわせけれども、白鳥一疋もいでこず、白馬もなくことなし。この時、外道のいのりをとどめて、仏教におおせつけられけり。その時、馬鳴菩薩と申す小僧一人あり。めしいだされければ、この僧のたまわく「国中に外道の邪法をとどめて仏法を弘通し給うべくば、馬をなかせんことやすし」という。勅宣に云わく「おおせのごとくなるべし」と。その時に馬鳴菩薩、三世十方の仏にきしょうし申せしかば、たちまちに白鳥出来せり。白馬は白鳥を見て一こえなきけり。大王、馬
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(167)曽谷殿御返事(輪陀王の事) | 弘安2年(’79)8月17日 | 58歳 | 曽谷道宗 |