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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(166)

曽谷入道殿御返事(如是我聞の事)

 建治3年(ʼ77)11月28日 56歳 曽谷教信

 妙法蓮華経一部一巻〈小字経〉御供養のために、御布施に小袖二重ね・鵝目十貫、ならびに扇百本。
 文句の一に云わく「『如是』とは、所聞の法体を挙ぐ」。記の一に云わく「もし超八の如是にあらずんば、いずくんぞこの経の所聞となさん」云々。華厳経の題に云わく「大方広仏華厳経 如是我聞」云々。「摩訶般若波羅蜜経 如是我聞」云々。大日経の題に云わく「大毘盧遮那神変加持経 如是我聞」云々。
 一切経の如是はいかなる如是ぞやと尋ぬれば、上の題目を指して如是とは申すなり。仏、いずれの経にても、とかせ給いしその所詮の理をさして題目とはせさせ給いしを、阿難・文殊・金剛手等、滅後に結集し給いし時、題目をうちおいて、「如是我聞(かくのごときを我聞きき)」と申せしなり。
 一経の内の肝心は題目におさまれり。例せば、天竺と申す国あり。九万里・七十箇国なり。しかれども、その中の人畜・草木・山河・大地、皆「月氏」と申す二字の内にれきれきたり。譬えば、一四天下の内に四洲あり、その中の一切の万物は月に移りてすこしもかくるることなし。経もまたかくのごとく、その経の中の法門はその経の題目の中にあり。