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とを能く能く心腑に染むべきなり。法華経の敵を見ながら、置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし。南岳大師云わく「諸の悪人とともに地獄に堕ちん」云々。
謗法を責めずして成仏を願わば、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるがごとくなるべし。はかなし、はかなし。いかに法華経を信じ給うとも、謗法あらば必ず地獄におつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんがごとし。「毒気は深く入って、本心を失えるが故に」はこれなり。
経に云わく「いたるところの諸仏の土に、常に師とともに生ず」。また云わく「もし法師に親近せば、速やかに菩薩の道を得、この師に随順して学せば、恒沙の仏を見たてまつることを得ん」。釈に云わく「本この仏に従って初めて道心を発し、またこの仏に従って不退地に住す」。また云わく「初めこの仏菩薩に従って結縁し、またこの仏菩薩において成就す」云々。
返す返すも本従たがえずして成仏せしめ給うべし。釈尊は一切衆生の本従の師にて、しかも主・親の徳を備え給う。
この法門を日蓮申す故に、忠言耳に逆らう道理なるが故に、流罪せられ、命にも及びしなり。しかれども、いまだこりず候。法華経は種のごとく、仏はうえてのごとく、衆生は田のごとくなり。
もしこれらの義をたがえさせ給わば、日蓮も後生は助け申すまじく候。恐々謹言。
建治二年丙子八月三日 日蓮 花押
曽谷殿
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(165)曽谷殿御返事(成仏用心抄) | 建治2年(’76)8月3日 | 55歳 | 曽谷殿 |