1430ページ
状に云わく〈詮を取る〉「この大瑞は、他国よりこの国をほろぼすべき先兆なり。禅宗・念仏宗等が法華経を失う故なり。彼の法師原が頸をきりて、鎌倉・ゆいの浜にすてずば、国当に亡ぶべし」等云々。
その後、文永の大彗星の時は、また手ににぎりてこれを知る。去ぬる文永八年九月十二日の御勘気の時、重ねて申して云わく「予は日本国の棟梁なり。我を失うは国を失うなるべし」と。今は用いまじけれども、後のためにとて申しにき。また去年の四月八日に平左衛門尉に対面の時、「蒙古国は、いつごろかよせ候べき」と問うに、答えて云わく「経文は月日をささず。ただし、天眼のいかり頻りなり。今年をばすぐべからず」と申したりき。
これらはいかにとして知るべしと人疑うべし。予不肖の身なれども、法華経を弘通する行者を王臣・人民これを怨むあいだ、法華経の座にて守護せんと誓いをなせる地神、いかりをなして身をふるい、天神、身より光を出だしてこの国をおどす。いかに諫むれども用いざれば、結句は人の身に入って自界叛逆せしめ、他国より責むべし。
問うて云わく、このこと、いかなる証拠あるや。
答う。経に云わく「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、星宿および風雨、皆、時をもって行われず」等云々。夫れ、天地は国の明鏡なり。今この国に天災地夭あり。知るべし、国主に失ありということを。鏡にうかべたれば、これを諍うべからず。国主小禍のある時は天鏡に小災見ゆ。今の大災は、当に知るべし、大禍ありということを。仁王経には、小難は無量なり、中難は二十九、大難は七とあり。この経をば、一には仁王と名づけ、二には天地鏡と名づく。この国主を天地鏡に移して
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(164)法蓮抄 | 建治元年(’75)4月 | 54歳 | 曽谷教信 |