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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

鬼道を経、寒地獄に堕ちぬ。彼の蘇武が十九年の間胡国に留められて雪を食し、李陵が巌窟に入って六年蓑をきてすごしけるも、我が身の上なりき。
 今、たまたま御勘気ゆりたれども、鎌倉中にもしばらくも身をやどし迹をとどむべき処なければ、かかる山中の石のはざま・松の下に身を隠し心を静むれども、大地を食とし草木を著ざらんより外は食もなく衣も絶えぬるところに、いかなる御心ねにて、かくかきわけて御訪いのあるやらん。知らず、過去の我が父母の御神の御身に入りかわらせ給うか。また知らず、大覚世尊の御めぐみにやあるらん。涙こそおさえがたく候え。
 問うて云わく、そもそも、正嘉の大地震、文永の大彗星を見て、自他の叛逆、我が朝に法華経を失う故としらせ給うゆえ、いかん。
 答えて云わく、この二つの天災地夭は、外典三千余巻にも載せられず。三墳五典・史記等に記するところの大長星・大地震は、あるいは一尺二尺・一丈二丈・五丈六丈なり。いまだ一天には見えず。地震もまたかくのごとし。内典をもってこれを勘うるに、仏御入滅已後は、かかる大瑞出来せず。月支には、弗沙密多羅王の五天の仏法を亡ぼし、十六大国の寺塔を焼き払い、僧尼の頭をはねし時も、かかる瑞はなし。漢土には、会昌天子の、寺院四千六百余所をとどめ、僧尼二十六万五百人を還俗せさせし時も出現せず。我が朝には、欽明の御宇に仏法渡って、守屋仏法に敵せしにも、清盛法師七大寺を焼き失い、山僧等園城寺を焼亡せしにも出現せざる大彗星なり。当に知るべし、これよりも大事なることの一閻浮提の内に出現すべきなりと勘えて、立正安国論を造って最明寺入道殿に奉る。彼の