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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(164)

法蓮抄

 建治元年(ʼ75)4月 54歳 曽谷教信

 夫れ以んみれば、法華経第四の法師品に云わく「もし悪人有って、不善の心をもって、一劫の中において、現に仏前において、常に仏を毀罵せば、その罪はなお軽し。もし人、一つの悪言をもって、在家・出家の法華経を読誦する者を毀訾せば、その罪ははなはだ重し」等云々。妙楽大師云わく「しかもこの経の功高く理絶するに約して、この説を作すことを得。余経はしからず」等云々。
 この経文の心は、一劫とは、人寿八万歳ありしより、百年に一歳をすて、千年に十歳をすつ。かくのごとく次第に減ずるほどに、人寿十歳になりぬ。この十歳の時は、当時の八十の翁のごとし。また人寿十歳より、百年ありて十一歳となり、また百年ありて十二歳となり、乃至一千年あらば二十歳となるべし。乃至八万歳となる。この一減一増を一劫とは申すなり。また種々の劫ありといえども、しばらくこの劫をもって申すべし。
 この一劫が間、身・口・意の三業より事おこりて、仏をにくみたてまつる者あるべし。例せば提婆達多がごとし。仏は浄飯王の太子、提婆達多は斛飯王の子なり。兄弟の子息なるあいだ、仏の御いとこにておわせしかども、今も昔も、聖人も凡夫も、人の中をたがえること、女人よりして起こり