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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

利咤と申す辟支仏にひえの飯を一杯供養し奉って、彼の猟師、九十一劫が間、人中・天上の長者と生まる。今生には、阿那律と申す天眼第一の御弟子なり。これを妙楽大師、釈して云わく「稗の飯軽しといえども、有つところを尽くし、および田勝れたるをもっての故に、勝れたる報を得」等云々。釈の心は、ひえの飯は軽しといえども、貴き辟支仏を供養する故に、かかる大果報に度々生まるとこそ書かれて候え。
 また菩薩と申すは、文殊・弥勒等なり。この大菩薩等は、彼の辟支仏に似るべからざる大人なり。仏は四十二品の無明と申す闇を破る妙覚の仏なり。八月十五夜の満月のごとし。この菩薩等は、四十一品の無明をつくして等覚の山の頂にのぼり、十四夜の月のごとし。
 仏と申すは、上の諸人には百千万億倍すぐれさせ給える大人なり。仏には必ず三十二相あり。その相と申すは、梵音声・無見頂相・肉髻相・白毫相、乃至千輻輪相等なり。この三十二相の中の一相をば百福をもって成じ給えり。百福と申すは、たとい大医ありて、日本国・漢土・五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国、乃至一閻浮提・四天下・六欲天、乃至三千大千世界の一切衆生の眼の盲たるを本のごとく一時に開けたらんほどの大功徳を一つの福として、この福百をかさねて候わんをもって、三十二相の中の一相を成ぜり。されば、この一相の功徳は、三千大千世界の草木の数よりも多く、四天下の雨の足よりもすぎたり。たとい壊劫の時、僧佉陀と申す大風ありて、須弥山を吹き抜いて色究竟天にあげて、かえって微塵となす大風なり。しかれども、仏の御身の一毛をば動かさず。仏の御胸に大火あり。平等大慧・大智光明・火坑三昧と云う。涅槃の時は、この大火を胸より出だして一身