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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 根本大師、記して云わく「代を語れば則ち像の終わり末の初め、地を尋ぬれば唐の東・羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云わく『なお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや』。この言、良に以有るが故なり」云々。また云わく「正像やや過ぎ已わって、末法はなはだ近きに有り。法華一乗の機、今正しくこれその時なり。何をもってか知ることを得る。安楽行品の『末世の法滅せん時』なり」云々。この釈は語美しく心隠れたり。読まん人、これを解し難きか。
 伝教大師の語は我が時に似て、心は末法を示したもうなり。大師出現の時は、仏の滅後一千八百余年なり。大集経の文をもってこれを勘うるに、大師存生の時は、第四の多造塔寺堅固の時に相当たる。全く第五の闘諍堅固の時にあらず。しかるに、余処の釈に「末法はなはだ近きに有り」の言有り。定めて知んぬ、闘諍堅固の筆は我が時を指すにあらざるなり。
 予つらつら事の情を案ずるに、大師、薬王菩薩として霊山会上に侍して、仏、上行菩薩出現の時を兼ねてこれを記したもう故に、ほぼこれを喩すか。しかるに、予、地涌の一分にあらざれども、兼ねてこのことを知る故に、地涌の大士に前立ってほぼ五字を示す。例せば、西王母の先相には青鳥、客人の来るには鳱鵲のごとし。
 この大法を弘通せしむるの法には、必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏を習学すべし。しからば則ち、予所持の聖教、多々これ有り。しかりといえども、両度の御勘気、衆度の大難の時、あるいは一巻二巻散失し、あるいは一字二字脱落し、あるいは魚魯の謬誤、あるいは一部二部損朽す。もし黙止して一期を過ぐるの後には、弟子等定めて謬乱出来の基なり。ここをもって、愚身、老耄已前にこれ