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為体、大日本国と大蒙古国と闘諍合戦す。第五の五百に相当たれるか。彼の大集経の文をもってこの法華経の文を惟うに、「後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して」の鳳詔、あに扶桑国にあらずや。
弥勒菩薩の瑜伽論に云わく「東方に小国有り。その中に、ただ大乗の種姓のみ有り」云々。慈氏菩薩、仏の滅後九百年に相当たって、無著菩薩の請いに赴いて中印度に来下して瑜伽論を演説す。これ、あるいは権機に随い、あるいは付嘱に順い、あるいは時によって権経を弘通す。しかりといえども、法華経の涌出品の時、地涌の菩薩を見て近成を疑うのあいだ、仏、請いに赴いて寿量品を演説し、分別功徳品に至って地涌の菩薩を勧奨して云わく「悪世末法の時、能くこの経を持たば」。弥勒菩薩、自身の付嘱にあらざればこれを弘めずといえども、親り霊山会上において「悪世末法の時」の金言を聴聞せし故に、瑜伽論を説くの時、末法に日本国において、地涌の菩薩、法華経の肝心を流布せしむべきの由、兼ねてこれを示すなり。
肇公の翻経の記に云わく「大師・須利耶蘇摩、左の手に法華経を持し、右の手に鳩摩羅什の頂を摩でて授与して云わく『仏日西に入って、遺耀将に東に及ばんとす。この経典、東北に有縁なり。汝、慎んで伝弘せよ』と」云々。予この記の文を拝見して、両眼滝のごとく、一身あまねく悦べり。「この経典、東北に有縁なり」云々。西天の月支国は未申の方、東方の日本国は丑寅の方なり。天竺において「東北に有縁なり」とは、あに日本国にあらずや。遵式の筆に云わく「始め西より伝う。なお月の生ずるがごとし。今また東より返る。なお日の昇るがごとし」云々。正像二千には西より東に流る。暮月の西空より始まるがごとし。末法五百には東より西に入る。朝日の東天より出ずるに似たり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(162)曽谷入道殿許御書 | 文永12年(’75)3月10日* | 曽谷教信・大田乗明 |