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劣を祈請せしに、箭をもって日を射ると見しは、このことなるべし。これは、慈覚大師の心中に修羅の入って法華経の大日輪を射るにあらずや。この法門は、当世の叡山その外日本国の人用いるべきや。
もしこのこと実事ならば、日蓮あに須弥山を投ぐる者にあらずや。我が弟子は用いるべきや、いかん。最後なれば申すなり。恨み給うべからず。恐々謹言。
十一月二十日 日蓮 花押
曽谷入道殿
(162)
曽谷入道殿許御書
文永12年(ʼ75)3月10日* 曽谷教信・大田乗明
夫れ以んみれば、重病を療治するには良薬を構索し、逆謗を救助するには要法にはしかず。いわゆる、時を論ずれば正像末、教を論ずれば小大・偏円・権実・顕密、国を論ずれば中・辺の両国、機を論ずれば已逆と未逆と、已謗と未謗と、師を論ずれば凡師と聖師と、二乗と菩薩と、他方と此土と、迹化と本化となり。故に四依の菩薩等、滅後に出現し、仏の付嘱に随って、みだりに経法を演説したまわず。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(161)曽谷入道殿御書 | 文永11年(’74)11月20日 | 53歳 | 曽谷教信 |
(162)曽谷入道殿許御書 | 文永12年(’75)3月10日* | 曽谷教信・大田乗明 |