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曽谷入道殿御書
文永11年(ʼ74)11月20日 53歳 曽谷教信
自界叛逆難・他方侵逼の難、すでにあい候い了わんぬ。これをもっておもうに、「多く他方の怨賊有って国内を侵掠し、人民は諸の苦悩を受け、土地に楽しむところの処有ることなけん」と申す経文、合いぬと覚え候。当時の壱岐・対馬の土民のごとくに成り候わんずるなり。これひとえに仏法の邪見なるによる。
仏法の邪見と申すは、真言宗と法華宗との違目なり。禅宗と念仏宗とを責め候いしは、このことを申し顕さん料なり。
漢土には、善無畏・金剛智・不空三蔵の誑惑の心、天台法華宗を真言の大日経に盗み入れて、還って法華経の肝心と天台大師の徳とを隠せし故に、漢土滅するなり。日本国は、慈覚大師が、大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取って、伝教大師の鎮護国家を破せしより、叡山に悪義出来して、終に王法尽きにき。この悪義、鎌倉に下って、また日本国を亡ぼすべし。
弘法大師の邪義は、中々顕然なれば、人もたぼらかされぬ者もあり。慈覚大師の法華経・大日経等の理同事勝の釈は、智人既に許しぬ。愚者いかでか信ぜざるべき。慈覚大師は法華経と大日経との勝
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(161)曽谷入道殿御書 | 文永11年(’74)11月20日 | 53歳 | 曽谷教信 |