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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 詮ずるところ、無智の者の、いまだ大法を謗ぜざるには、たちまちに大法を与えず、悪人たる上、すでに実大を謗ずる者には、強いてこれを説くべし。
 法華経第二の巻に、仏、舎利弗に対して云わく「無智の人の中にして、この経を説くことなかれ」。また第四の巻に薬王菩薩等の八万の大士に告げたまわく「この経はこれ諸仏の秘要の蔵なり。分布してみだりに人に授与すべからず」等云々。文の心は、無智の者の、しかもいまだ正法を謗ぜざるには、左右なくこの経を説くことなかれと。法華経第七の巻の不軽品に云わく「乃至遠く四衆を見ても、また故に往って」等云々。また云わく「四衆の中に、瞋恚を生じて心不浄なる者有って、悪口・罵詈して言わく『この無智の比丘は、いずこより来るか』と」等云々。また云わく「あるいは杖木・瓦石をもって、これを打擲す」等云々。第二・第四の巻の経文と第七の巻の経文と天地・水火なり。
 問うて曰わく、一経二説、いずれの義に就いて、この経を弘通すべき。
 答えて云わく、私に会通すべからず。霊山の聴衆たる天台大師ならびに妙楽大師等、処々に多くの釈有り。まず一・両の文を出ださん。文句の十に云わく「問うて曰わく、釈迦は出世して踟躕して説かず。今はこれ何の意ぞ。造次にして説くは何ぞや。答えて曰わく、本すでに善有れば、釈迦は小をもってこれを将護し、本いまだ善有らざれば、不軽は大をもってこれを強毒す」等云々。釈の心は、寂滅・鹿野・大宝・白鷺等の前四味の小大・権実の諸経、四教八教の所被の機縁、彼らの過去を尋ね見れば、久遠・大通の時において純円の種を下ろせしかども、諸の衆、一乗経を謗ぜしかば、三・五の塵点を経歴す。しかりといえども、下ろせしところの下種、純熟の故に、時至って自ら繫珠を顕す。