1406ページ
の一句において法華経を摂め入れ、反って権経と下す。日本の弘法大師は、六波羅蜜経の五蔵の中に第四の熟蘇味の般若波羅蜜蔵において法華経・涅槃経等を摂め入れ、第五の陀羅尼蔵に相対して、「争って醍醐を盗む」等云々。これらの禍咎は、日本一州の内、四百余年、今にいまだこれを糾明せし人あらず。予が所存の難勢、あまねく一国に満ち、必ず彼の邪義破られんか。これらは、しばらくこれを止む。
迦葉・阿難等、竜樹・天親等、天台・伝教等の諸大聖人、知ってしかもいまだ弘宣せざるところの肝要の秘法は、法華経の文赫々たり。論釈等に載せざること明々たり。生知は自ら知るべし。賢人は明師に値遇してこれを信ぜよ。罪根深重の輩は邪推をもって人を軽しめ、これを信ぜず。しばらく耳に停めよ。本意に付いてこれを喩さん。
大集経の五十一に、大覚世尊、月蔵菩薩に語って云わく「我が滅後において、五百年の中は解脱堅固、次の五百年は禅定堅固〈已上、一千年〉。次の五百年は読誦多聞堅固、次の五百年は多造塔寺堅固〈已上、二千年〉。次の五百年は我が法の中において闘諍言訟して白法隠没せん」等云々。
今、末法に入って二百二十余年、「我が法の中において闘諍言訟して白法隠没せん」の時に相当たれり。法華経の第七の薬王品に、教主釈尊、多宝仏とともに宿王華菩薩に語って云わく「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等にその便りを得しむることなかれ」。大集経の文をもってこれを案ずるに、前の四箇度の五百年は、仏の記文のごとく既に符合せしめ了わんぬ。第五の五百歳の一事、あに唐捐ならん。したがって、当世の
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(162)曽谷入道殿許御書 | 文永12年(’75)3月10日* | 曽谷教信・大田乗明 |