1409ページ
を糾調せんと欲す。しかるに、風聞のごとくんば、貴辺ならびに大田金吾殿、越中の御所領の内ならびに近辺の寺々に数多の聖教あり等云々。両人共に大檀那たり。所願を成ぜしめたまえ。涅槃経に云わく「内には弟子有って甚深の義を解り、外には清浄の檀越有って仏法久住せん」云々。天台大師は毛喜等を相語らい、伝教大師は国道・広世等を恃怙す云々。
仁王経に云わく「千里の内に七難をして起こらざらしむ」云々。法華経に云わく「百由旬に諸の衰患無からしむ」云々。国主、正法を弘通すれば、必ずこの徳を備う。臣民等、この法を守護せんに、あに家内の大難を払わざらんや。また法華経の第八に云わく「願うところは虚しからじ。また現世において、その福報を得ん」。また云わく「当に今世において現の果報を得べし」云々。また云わく「この人は現世に白癩の病を得ん」。また云わく「頭破れて七分に作る」。また第二の巻に云わく「経を読誦し書持することあらん者を見て、軽賤憎嫉して、結恨を懐かん乃至その人は命終して、阿鼻獄に入らん」云々。第五の巻に云わく「もし人、悪み罵らば、口は則ち閉塞せん」云々。
伝教大師云わく「讃むる者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く」等云々。安明とは須弥山の名なり。無間とは阿鼻の別名なり。国主、持者を誹謗せば位を失い、臣民、行者を毀呰せば身を喪ぼす。一国を挙げて用いざれば、定めて自反・他逼出来せしむべきなり。また上品の行者は大の七難、中品の行者は二十九難の内、下品の行者は無量の難の随一なり。また大の七難において七人有り。第一は日月の難なり。第一の内にまた五つの大難有り。いわゆる「日月度を失い、時節反逆し、あるいは赤日出で、あるいは黒日出で、二・三・四・五の日出で、あるいは日蝕して光無く、あるいは日輪
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(162)曽谷入道殿許御書 | 文永12年(’75)3月10日* | 曽谷教信・大田乗明 |