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を挙げて弟子となる。観勒の流れの三論・成実、道昭の渡せる法相・俱舎、良弁の伝うるところの華厳宗、鑑真和尚の渡すところの律宗、弘法大師の門弟等、誰か円頓の大戒を持たざらん。この義に違背するは逆路の人なり。この戒を信仰するは伝教大師の門徒なり。「日本一州、円機純一なり。朝野・遠近、同じく一乗に帰す」とはこの謂いか。
この外は、漢土の三論宗の吉蔵大師ならびに一百人、法相宗の慈恩大師、華厳宗の法蔵・澄観、真言宗の善無畏・金剛智・不空・恵果、日本の弘法・慈覚等の三蔵の諸師は、四依の大士にあらざる暗師なり、愚人なり。経においては、大小・権実の旨を弁えず、顕密両道の趣を知らず。論においては、通申と別申とを糾さず、申と不申とを暁らめず。しかりといえども、彼の宗々の末学等、この諸師を崇敬して、これを聖人と号し、これを国師と尊ぶ。今まず一を挙げんに万を察せよ。
弘法大師の十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等に云わく「かくのごとき乗々は、自乗に名を得れども、後に望めば戯論と作る」。また云わく「無明の辺域」。また云わく「震旦の人師等、争って醍醐を盗んで各自宗に名づく」等云々。釈の心は、法華の大法を華厳と大日経とに対して、戯論の法と蔑り、無明の辺域と下し、あまつさえ、震旦一国の諸師を盗人と罵る。これらの謗法・謗人は、慈恩・得一の三乗真実・一乗方便の狂言にも超過し、善導・法然の千中無一・捨閉閣抛の過言にも雲泥せるなり。六波羅蜜経をば、唐の末に不空三蔵、月氏よりこれを渡す。後漢より唐の始めに至るまで、いまだこの経有らず。南三北七の碩徳、いまだこの経を見ず。三論・天台・法相・華厳の人師、誰人か彼の経の醍醐を盗まんや。また彼の経の中に、法華経は醍醐にあらずの文、これ有りや不や。しかるに、日
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(162)曽谷入道殿許御書 | 文永12年(’75)3月10日* | 曽谷教信・大田乗明 |