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まわず。
その時に、下方の大地より未見今見の四大菩薩を召し出だしたもう。いわゆる上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩なり。この大菩薩、各々六万恒河沙の眷属を具足す。形貌・威儀、言をもって宣べ難く、心をもって量るべからず。初成道の法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵等の四菩薩、各々十恒河沙の眷属を具足し仏会を荘厳せしも、大集経の欲・色二界の中間、大宝坊において来臨せし十方の諸大菩薩、乃至大日経の八葉の中の四大菩薩も、金剛頂経の三十七尊の中の十六大菩薩等も、この四大菩薩に比挍すれば、なお帝釈と猿猴と、華山と妙高とのごとし。
弥勒菩薩、衆の疑いを挙げて云わく「いまし一人をも識らず」等云々。天台大師云わく「寂場より已降、今座より已往、十方の大士来会して絶えず。限るべからずといえども、我は補処の智力をもって、ことごとく見、ことごとく知る。しかるに、この衆においては一人をも識らず」等云々。妙楽云わく「今見るに皆識らざる所以は乃至智人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る」等云々。天台また云わく「雨の猛きを見て竜の大なるを知り、華の盛んなるを見て池の深きを知る」云々。
例せば、漢王の四将の張良・樊噲・陳平・周勃の四人を、商山の四皓、綺里季・角里先生・園公・夏黄公等の四賢に比するがごとし。天地雲泥なり。四皓が為体、頭には白雪を頂き、額には四海の波を畳み、眉には半月を移し、腰には多羅枝を張り、恵帝の左右に侍して世を治められたること、尭・舜の古を移し、一天安穏なりしこと、神農の昔にも異ならず。この四大菩薩もまたまたかくのごとし。法華の会に出現し、三仏を荘厳し、謗人の慢幢を倒すこと、大風の小樹の枝を吹くがごとく、衆会の
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(162)曽谷入道殿許御書 | 文永12年(’75)3月10日* | 曽谷教信・大田乗明 |