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答えて曰わく、四つの義有り。先のごとし。
問うて曰わく、諸の真言師云わく「仏の滅後八百年に相当たって、竜猛菩薩、月氏に出現して、釈尊の顕教たる華厳・法華等を馬鳴菩薩等に相伝し、大日の密教をば、自ら南天の鉄塔を開拓し、面り大日如来と金剛薩埵とに対してこれを口決す。竜猛菩薩に二人の弟子有り。提婆菩薩には釈迦の顕教を伝え、竜智菩薩には大日の密教を授く。竜智菩薩は阿羅苑に隠居して人に伝えず。その間に提婆菩薩の伝うるところの顕教、まず漢土に渡る。その後数年を経歴して、竜智菩薩の伝うるところの秘密の教を、善無畏・金剛智・不空、漢土に渡す」等云々。この義、いかん。
答えて曰わく、一切の真言師かくのごとし。また天台・華厳等の諸家も一同にこれを信ず。そもそも、竜猛已前には月氏国の中には大日の三部経無しと云うか。釈迦よりの外に大日如来世に出現して三部の経を説くと云うか。顕を提婆に伝え、密を竜智に授くる証文、いずれの経論に出でたるぞ。この大妄語は、提婆の虚誑罪にも過ぎ、瞿伽利の狂言にも超ゆ。漢土・日本の王位の尽き、両朝の僧侶の謗法となるの由来、専らこれに在らずや。しからば則ち、彼の震旦既に北蕃のために破られ、この日域もまた西戎のために侵されんと欲す。これらはしばらくこれを置く。
像法に入って一千年、月氏の仏法漢土に渡来するのあいだ、前の四百年には、南北の諸師は異義蘭菊にして、東西の仏法いまだ定まらず。四百年の後、五百年の前、その中間一百年の間に、南岳・天台等、漢土に出現して、ほぼ法華の実義を弘宣したもう。しかれども、円慧・円定においては国師たりといえども、円頓の戒場いまだこれを建立せず。故に国を挙げて戒師と仰がず。六百年の已後、法
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(162)曽谷入道殿許御書 | 文永12年(’75)3月10日* | 曽谷教信・大田乗明 |