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仏の滅後において三時有り。正像二千余年には、なお下種の者有り。例せば、在世四十余年のごとし。機根を知らずんば、左右なく実経を与うべからず。今は既に末法に入って、在世の結縁の者は漸々に衰微して、権実の二機皆ことごとく尽きぬ。彼の不軽菩薩、末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり。しかるに、今時の学者、時機に迷惑して、あるいは小乗を弘通し、あるいは権大乗を授与し、あるいは一乗を演説すれども、題目の五字をもって下種となすべきの由来を知らざるか。
ことに真言宗の学者、迷惑を懐いて三部経に依憑し、単に会二破二の義を宣ぶ。なお三一相対を説かず。即身頓悟の道、跡を削り、草木成仏は名をも聞かざるのみ。しかるに、善無畏・金剛智・不空等の僧侶、月氏より漢土に来臨せしの時、本国においていまだ存せざる天台の大法盛んにこの国に流布せしむるのあいだ、自愛の所持の経弘め難きにより、一行阿闍梨を語らい得て、天台の智慧を盗み取り、大日経等に摂め入れて、天竺より有るの由これを偽る。しかるに、震旦一国の王臣等ならびに日本国の弘法・慈覚の両大師、これを弁えずして信を加う。已下の諸学は言うに足らず。ただ漢土・日本の中に伝教大師一人これを惟いたまえり。しかれども、いまだ分明ならず。詮ずるところ、善無畏三蔵、閻魔王の責めを蒙ってこの過罪を悔い、不空三蔵、天竺に還り渡って真言を捨てて漢土に来臨し、天台の戒壇を建立し、両界の中央の本尊に法華経を置きしは、これなり。
問うて曰わく、今時の真言宗の学者等、何ぞこの義を存ぜざるや。
答えて曰わく、「眉は近けれども見えず、自らの禍いを知らず」とはこの謂いか。嘉祥大師は三論宗を捨てて天台の弟子となる。今の末学等、これを知らず。法蔵・澄観は華厳宗を置いて智者に帰す。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(162)曽谷入道殿許御書 | 文永12年(’75)3月10日* | 曽谷教信・大田乗明 |