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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(159)

大田殿女房御返事(即身成仏抄)

 弘安3年(ʼ80)7月2日 59歳 大田乗明の妻

 八月分の八木一石、給び候い了わんぬ。
 即身成仏と申す法門は、諸大乗経ならびに大日経等の経文に分明に候ぞ。しかればとて、彼の経々の人々の即身成仏と申すは、二つの増上慢に堕ちて、必ず無間地獄へ入り候なり。記の九に云わく「しかして二つの上慢、深浅無きにあらず。如と謂うは、乃ち大無慙の人と成る」等云々。
 諸大乗経の煩悩即菩提・生死即涅槃の即身成仏の法門は、いみじくおそたかきようなれども、これはあえて即身成仏の法門にはあらず、その心は、「二乗と申す者は、鹿苑にして見思を断じて、いまだ塵沙・無明をば断ぜざる者が、『我はすでに煩悩を尽くしたり』と、無余に入って灰身滅智の者となれり。灰身なれば即身にあらず、滅智なれば成仏の義なし。されば、凡夫は煩悩・業もあり苦果の依身も失うことなければ、煩悩・業を種として報身・応身ともなりなん。苦果あれば、生死即涅槃とて法身如来ともなりなん」と、二乗をこそ弾呵せさせ給いしか。さればとて、煩悩・業・苦が三身の種とはなり候わず。
 今、法華経にして、有余・無余の二乗が無き煩悩・業・苦をとり出だして即身成仏と説き給う時、