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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

壊る者を見て、置いて、呵責し駆遣し挙処せずんば、当に知るべし、この人は仏法の中の怨なり」等云々。
 善無畏・金剛智の両三蔵、慈覚・智証の二大師、大日の権経をもって法華の実経を破壊せり。しかるに、日蓮、世を恐れてこれを言わずんば、仏敵とならんか。したがって、章安大師、末代の学者を諫暁して云わく「仏法を壊乱するは、仏法の中の怨なり。慈無くして詐り親しむは、これ彼の人の怨なり。能く糾治せんは、即ちこれ彼が親なり」等云々。余はこの釈を見て肝に染むるが故に、身命を捨ててこれを糾明するなり。提婆菩薩は付法蔵の第十四、師子尊者は二十五に当たる。あるいは命を失い、あるいは頭を刎ねらる等これなり。
 疑って云わく、経々の自讃は諸経常の習いなり。いわゆる、金光明経に云わく「諸経の王なり」、密厳経に「一切経の中に勝れたり」、蘇悉地経に云わく「三部の中において、この経を王となす」、法華経に云わく「これ諸経の王なり」等云々。したがって、四依の菩薩、両国の三蔵もかくのごとし、いかん。
 答えて曰わく、大国・小国、大王・小王、大家・小家、尊主・高貴、各々分斉有り。しかりといえども、国々の万民、皆大王と号し、同じく天子と称す。詮をもってこれを論ずれば、梵王を大王となし、法華経をもって天子と称するなり。
 求めて云わく、その証いかん。
 答えて曰わく、金光明経の「これ諸経の王なり」の文は、梵釈の諸経に相対し、密厳経の「一切経の中に勝れたり」の文は、次上に十地経・華厳経・勝鬘経等を挙げて、彼々の経々に相対して、「一切