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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

経の中に勝れたり」云々。蘇悉地経の文は、現文これを見るに、「三部の中において、王となす」等云々。蘇悉地経は大日経・金剛頂経に相対して「王」云々。しかるに、善無畏等、あるいは「理同事勝」、あるいは「華厳より下る」等云々。これらの僻文は、蛍火を日月に同じ、大海を江河に入るるか。
 疑って云わく、経々の勝劣、これを論じて何かせん。
 答えて曰わく、法華経の第七に云わく「能くこの経典を受持することあらん者もまたかくのごとく、一切衆生の中において、またこれ第一なり」等云々。この経の薬王品に、十喩を挙げて、已今当の一切経に超過す云々。第八の譬え、兼ねて上の文に有り。詮ずるところ、仏意のごとくんば、経の勝劣を詮とするにあらず、法華経の行者は一切の諸人に勝れたるの由これを説く。大日経等の行者は諸山・衆星・江河・諸民なり。法華経の行者は須弥山・日月・大海等なり。しかるに、今の世は、法華経を軽蔑すること土のごとし、民のごとし。真言の僻人等を重崇して国師となすこと金のごとし、王のごとし。これによって増上慢の者国中に充満す。青天瞋りをなし、黄地妖孼を至す。涓聚まって墉塹を破るがごとく、民の愁い積もって国を亡ぼす等これなり。
 問うて云わく、内外の所釈の中に、かくのごとき例これ有りや。
 答えて曰わく、史臣・呉兢の太宗に上る表に「ひそかに惟んみれば、太宗文武皇帝の政化、曠古よりして求むるに、いまだかくのごときの盛んなるもの有らず。唐尭、虞舜、夏の禹、殷の湯、周の文・武、漢の文・景といえども、皆いまだ逮ばざるところなり」云々。今この表を見れば、太宗を慢ぜる王と云うべきか。政道の至妙先聖に超えて讃むるところなり。章安大師、天台を讃めて云わく