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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(150)

転重軽受法門

 文永8年(ʼ71)10月5日 50歳 大田乗明・曽谷教信・金原法橋

 修利般特と申すは兄弟二人なり。一人もありしかば、すりはんどくと申すなり。各々三人は、またかくのごとし。一人来らせ給えば、三人と存じ候なり。
 涅槃経に転重軽受と申す法門あり。先業の重き今生につきずして、未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかかる重苦に値い候えば、地獄の苦しみぱっときえて死に候えば、人天・三乗・一乗の益をうること候。
 不軽菩薩の悪口・罵詈せられ杖木・瓦礫をかぼるも、ゆえなきにはあらず。過去の誹謗正法のゆえかとみえて、「その罪は畢え已わって」と説かれて候は、不軽菩薩の難に値うゆえに過去の罪の滅するかとみえはんべり〈これ一〉。
 また付法蔵の二十五人は、仏をのぞきたてまつりては、皆、仏のかねて記しおき給える権者なり。その中、第十四の提婆菩薩は外道にころされ、第二十五の師子尊者は壇弥栗王に頸を刎ねられ、その外、仏陀蜜多・竜樹菩薩なんども多くの難にあえり。また難なくして、王法に御帰依いみじくて、法をひろめたる人も候。これは、世に悪国・善国有り、法に摂受・折伏あるゆえかとみえはんべる。