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十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。譬えば、種子と菓子と、身と影とのごとし。教主釈尊の成道は浄飯・摩耶の得道、吉占師子・青提女・目揵尊者は同時の成仏なり。かくのごとく観ずる時、無始の業障たちまちに消え、心性の妙蓮たちまちに開き給うか。しかる後に、随分仏事をなし、事故無く還り給う云々。恐々謹言。
富木入道殿
(136)
道場神守護事
建治2年(ʼ76)12月13日 55歳 富木常忍
鵝目五貫文、たしかに送り給び候い了わんぬ。かつ知ろしめすがごとく、この所は里中を離れたる深山なり。衣食乏少のあいだ、読経の声続き難く、談義の勤め廃しつべし。
この託宣は十羅刹の御計らいにて檀那の功を致さしむるか。
止観の第八に云わく「帝釈の堂をば小鬼は敬い避くるがごとし。道場の神大なれば、みだりに侵嬈することなし。また、城の主剛ければ、守る者も強し。城の主恇ずれば、守る者も忙ず。心はこれ身の主なり。同名・同生の天、これ能く人を守護す。心固ければ、則ち強し。身の神すら、なおしかり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(135)忘持経事 | 建治2年(’76)3月 | 55歳 | 富木常忍 |
(136)道場神守護事 | 建治2年(’76)12月13日 | 55歳 | 富木常忍 |