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忘持経事
建治2年(ʼ76)3月 55歳 富木常忍
忘れ給うところの御持経、追って修行者に持たせ、これを遣わす。
魯の哀公云わく「人の好く忘るる者有り。移宅に、乃ちその妻を忘れたり」云々。孔子云わく「また、好く忘るること、これより甚だしき者有り。桀紂の君は、乃ちその身を忘れたり」等云々。夫れ、槃特尊者は名を忘る。これ閻浮第一の好く忘るる者なり。今、常忍上人は持経を忘る。日本第一の好く忘るるの仁か。
大通結縁の輩は、衣珠を忘れ三千塵劫を経て貧路に踟躕し、久遠下種の人は、良薬を忘れ五百塵点を送って三途の嶮地に顚倒せり。今、真言宗・念仏宗・禅宗・律宗等の学者等は、仏陀の本意を忘失し、未来に無数劫を経歴して阿鼻の火坑に沈淪せん。これより第一の好く忘るる者あり。いわゆる、今の世の天台宗の学者等と持経者等との、日蓮を誹謗し念仏者等を扶助するはこれなり。親に背いて敵に付き、刀を持って自らを破る。これらは、しばらくこれを置く。
夫れ、常啼菩薩は東に向かって般若を求め、善財童子は南に向かって華厳を得、雪山の小児は半偈に身を投げ、楽法梵志は一偈に皮を剝ぐ。これらは、皆、上聖・大人なり。その迹を検うるに地・住
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(135)忘持経事 | 建治2年(’76)3月 | 55歳 | 富木常忍 |