1317ページ
の行者なり。御信心、月のまさるがごとく、しおのみつがごとし。いかでか病も失せ寿ものびざるべきと強盛におぼしめし、身を持し心に物をなげかざれ。
なげき出で来る時は、ゆき・つしまのこと、だざいふのこと、かまくらの人々の天の楽のごとにありしが、当時つくしへむかえば、とどまるめこ、ゆくおとこ、はなるるときはかわをはぐがごとく、かおとかおとをとりあわせ、目と目とをあわせてなげきしが、次第にはなれて、ゆいのはま、いなぶら、こしごえ、さかわ、はこねざか、一日二日すぐるほどに、あゆみあゆみとおざかるあゆみも、かわも山もへだて雲もへだつれば、うちそうものはなみだなり、ともなるものはなげきなり。いかにかなしかるらん。かくなげかんほどに、もうこのつわものせめきたらば、山か海もいけどりか、ふねの内か、こうらいかにてうきめにあわん。これひとえに、失もなくて日本国の一切衆生の父母たる法華経の行者日蓮を、ゆえもなく、あるいはのり、あるいは打ち、あるいはこうじをわたし、ものにくるいしが、十羅刹のせめをかぼりてなれることなり。またまた、これより百千万億倍たえがたき事どもいで来るべし。かかる不思議を目の前に御らんあるぞかし。
我らは仏に疑いなしとおぼせば、なにのなげきかあるべき。きさきになりてもなにかせん。天に生まれてもようしなし。竜女があとをつぎ、摩訶波舎波提比丘尼のれちにつらなるべし。あらうれし、あらうれし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱えさせ給え。恐々謹言。
三月二十七日 日蓮 花押
尼ごぜんへ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(134)富木尼御前御返事 | 建治2年(’76)3月27日 | 55歳 | 富木尼 |