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し」と申せしかば、これにもなげき入って候。「富木殿もこの尼ごぜんをこそ、杖柱とも恃みたるに」なんど申して候いしなり。随分にわび候いしぞ。きわめてまけじだましいの人にて、我がかたのことをば大事と申す人なり。
かえすがえす、身の財をだにおしませ給わば、この病治えがたかるべし。
一日の命は三千界の財にもすぎて候なり。まず御志をみみえさせ給うべし。法華経の第七の巻に「三千大千世界の財を供養するよりも、手の一指を焼いて仏・法華経に供養せよ」ととかれて候は、これなり。
命は三千にもすぎて候。しかも齢もいまだたけさせ給わず。しかも法華経にあわせ給いぬ。一日もいきておわせば功徳つもるべし。あらおしの命や、あらおしの命や。
御姓名ならびに御年を我とかかせ給いて、わざとつかわせ。大日月天に申しあぐべし。いよどのもあながちになげき候えば、日月天に自我偈をあて候わんずるなり。恐々謹言。
日蓮 花押
尼ごぜん御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(130)可延定業書 | 文永12年(’75) | 54歳 | 富木尼 |