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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

鍼と申す人ありき。命は知命にありと申して、五十年に定まって候いしが、天台大師に値って十五年の命を延べて六十五までおわしき。その上、不軽菩薩は、「さらに寿命を増す」ととかれて、法華経を行じて定業をのべ給いき。彼らは皆、男子なり。女人にはあらざれども、法華経を行じて寿をのぶ。また、陳鍼は「後の五百歳」にもあたらず。冬の稲米、夏の菊花のごとし。当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは、秋の稲米、冬の菊花、誰かおどろくべき。
 されば、日蓮、悲母をいのりて候いしかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり。今、女人の御身として病を身にうけさせ給う。心みに法華経の信心を立てて御らんあるべし。
 しかも善医あり。中務三郎左衛門尉殿は法華経の行者なり。
 命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば、千万両の金にもすぎたり。法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは、寿量品のゆえぞかし。閻浮第一の太子なれども、短命なれば草よりもかろし。日輪のごとくなる智者なれども、夭死あれば生ける犬に劣る。早く心ざしの財をかさねて、いそぎいそぎ御対治あるべし。
 これよりも申すべけれども、人は申すによって吉きこともあり、また、我が志のうすきかとおもう者もあり。人の心しりがたき上、先々に少々かかること候。この人は、人の申せばすこそ心えずげに思う人なり。なかなか申すはあしかりぬべし。ただ、なこうどもなく、ひらなさけに、また、心もなくうちたのませ給え。去年の十月、これに来って候いしが、御所労のことをよくよくなげき申せしなり。「当時、大事のなければ、おどろかせ給わぬにや。明年正月二月のころおいは必ずおこるべ