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すれば、我が身に謗法なき由をあながちに陳答して、「法華経の門を閉じよ」と法然が書けるを、とかくあらがいなんどす。念仏者はさておきぬ、天台・真言等の人々、彼が方人をあながちにするなり。
今年正月十六日、十七日に、佐渡国の念仏者等数百人、印性房と申すは念仏者の棟梁なり、日蓮が許に来って云わく「法然上人は法華経を抛てよとかかせ給うにはあらず。一切衆生に念仏を申させ給いて候この大功徳に御往生疑いなしと書き付けて候を、山僧等の流されたる、ならびに寺法師等、『善きかな、善きかな』とほめ候を、いかんがこれを破し給う」と申しき。鎌倉の念仏者よりも、はるかにはかなく候ぞ。無慙とも申すばかりなし。
いよいよ日蓮が先生・今生・先日の謗法おそろし。かかりける者の弟子と成りけん、かかる国に生まれけん、いかになるべしとも覚えず。
般泥洹経に云わく「善男子よ。過去に無量の諸罪、種々の悪業を作るに、この諸の罪報は、あるいは軽易せられ、あるいは形状醜陋、衣服足らず、飲食麤疎、財を求むるに利あらず、貧賤の家および邪見の家に生まれ、あるいは王難に遭う」等云々。また云わく「および余の種々の人間の苦報あらん。現世に軽く受くるは、これ護法の功徳力に由るが故なり」等云々。この経文は、日蓮が身なくば、ほとんど仏の妄語となりぬべし。一には「あるいは軽易せらる」、二には「あるいは形状醜陋」、三には「衣服足らず」、四には「飲食麤疎」、五には「財を求むるに利あらず」、六には「貧賤の家に生まる」、七には「および邪見の家」、八には「あるいは王難に遭う」等云々。この八句は、ただ日蓮一人が身に感ぜり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(122)佐渡御書 | 文永9年(’72)3月20日 | 51歳 | 門下一同 |