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信伏随従せりき。罪多分は滅して少分有りしが、父母千人殺したる程の大苦をうく。当世の諸人は翻す心なし。譬喩品のごとく無数劫をや経んずらん、三・五の塵点をやおくらんずらん。
これはさておきぬ。日蓮を信ずるようなりし者どもが、日蓮がかくなれば、疑いをおこして法華経をすつるのみならず、かえりて日蓮を教訓して我賢しと思わん僻人等が、念仏者よりも久しく阿鼻地獄にあらんこと、不便とも申すばかりなし。
修羅が「仏は十八界、我は十九界」と云い、外道が云わく「仏は一究竟道、我は九十五究竟道」と云いしがごとく、「日蓮御房は師匠にてはおわせども余りにこわし。我らはやわらかに法華経を弘むべし」と云わんは、蛍火が日月をわらい、蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなずり、烏鵲が鸞鳳をわらうなるべし、わらうなるべし。南無妙法蓮華経。
文永九年太歳壬申三月二十日 日蓮 花押
日蓮弟子檀那等御中
佐渡国は紙候わぬ上、面々に申せば煩いあり。一人ももるれば恨みありぬべし。この文を、心ざしあらん人々は寄り合って御覧じ、料簡候いて、心なぐさませ給え。世間に、まさる歎きだにも出来すれば劣る歎きは物ならず。当時の軍に死する人々、実・不実は置く、いくばくか悲しかるらん。いざわの入道、さかべの入道、いかになりぬらん。かわのべ山城得行寺殿等のこと、いかにと書き付けて給ぶべし。外典抄、貞観政要、すべて外典の物語、八宗の相伝等、これらがなくしては消息もかかれ候わぬに、かまえてかまえて給び候べし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(122)佐渡御書 | 文永9年(’72)3月20日 | 51歳 | 門下一同 |