SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 仏、末代を記して云わく「謗法の者は大地微塵よりも多く、正法の者は爪上の土よりすくなかるべし」。仏語まことなるかなや、今、日本国、かの記にあたれり。
 予は、かつしろしめされて候がごとく、幼少の時より学文に心をかけし上、大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て、「日本第一の智者となし給え」、十二のとしよりこの願を立つ。その所願に子細あり。今くわしくのせがたし。
 その後、まず浄土宗・禅宗をきく。その後、叡山・園城・高野・京中・田舎等、処々に修行して自他宗の法門をならいしかども、我が身の不審はれがたき上、本よりの願に「諸宗いずれの宗なりとも、偏党・執心あるべからず。いずれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用いるべし。論師・訳者・人師等にはよるべからず。専ら経文を詮とせん。また、法門によりては、たとい王のせめなりとも、はばかるべからず。いかにいわんや、その已下の人をや。父母・師兄等の教訓なりとも、用いるべからず。人の信・不信はしらず、ありのままに申すべし」と誓状を立てしゆえに、三論宗の嘉祥・華厳宗の澄観・法相宗の慈恩等をば天台・妙楽・伝教等は無間地獄とせめたれども、真言宗の善無畏三蔵・弘法大師・慈覚・智証等の僻見はいまだせむる人なし。善無畏・不空等の真言宗をすてて天台によることは妙楽大師の記の十の後序ならびに伝教大師の依憑集にのせられたれども、いまだくわしからざればにや慈覚・智証の謬誤は出来せるかと、強盛にせむるなり。
 かく申すほどに、年三十二、建長五年の春の比より念仏宗と禅宗等とをせめはじめて、後に真言宗等をせむるほどに、念仏者等、始めにはあなずる。「日蓮いかにかしこくとも、明円房・公胤僧正・顕