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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(109)

破良観等御書

 建治2年(ʼ76) 55歳 弥四郎〈光日尼子息〉の縁者

 良観・道隆・悲願聖人等が極楽寺・建長寺・寿福寺・普門寺等を立てて、叡山の円頓大戒を蔑如するがごとし。これは第一には破僧罪なり。
 二には仏の御身より血を出だす。今の念仏者等が教主釈尊の御入滅の二月十五日をおさえとり、阿弥陀仏の日とさだめ、仏生日の八日をば薬師仏の日といい、一切の真言師が大日如来をたのみて、「教主釈尊は無明に迷える仏、我らが履とりにも及ばず」、結句は灌頂して釈迦仏の頭をふむ。禅宗の法師等は「教外に別伝す」とののしりて、一切経をばほんぐにはおとり、我らは仏に超過せりと云々。これは南印度の大慢ばら門がながれ、出仏身血の一分なり。
 第三に蓮華比丘尼を打ちころす。これ仏の養母にして阿羅漢なり。これは、阿闍世王の提婆達多をすてて仏につき給いし時、いかりをなして大火胸をやきしかば、はらをすえかねて、この尼のゆきあい候いたりしを打ち殺せしなり。今の念仏者等が、念仏と禅と律と真言とをせめられて、のぶるかたはなし、結句は檀那等をあいかたらいて、日蓮が弟子を殺させ、予が頭等にきずをつけ、ざんそうをなして二度まで流罪、あわせて頸をきらせんとくわだて、弟子等数十人をろうに申し入るるのみなら