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真座主等にはすぐべからず。彼の人々だにもはじめは法然上人をなんぜしが、後にみな堕ちて、あるいは上人の弟子となり、あるいは門家となる。日蓮はかれがごとし。我つめん、我つめん」とはやりしほどに、いにしえの人々はただ法然をなんじて善導・道綽等をせめず、また経の権実をいわざりしかばこそ、念仏者はおごりけれ。今、日蓮は、善導・法然等をば無間地獄につきおとして、専ら浄土の三部経を法華経におしあわせてせむるゆえに、蛍火に日月、江河に大海のようなる上、「念仏は仏のしばらくの戯論の法、実にこれをもって生死をはなれんとおもわば、大石を船に造って大海をわたり、大山をになって嶮難を越ゆるがごとし」と難ぜしかば、面をむかうる念仏者なし。
後には、天台宗の人々をかたらいてどしうちにせんとせしかども、それもかなわず。天台宗の人々もせめられしかば、在家・出家の心ある人々、少々念仏と禅宗とをすつ。念仏者・禅宗・律僧等、我が智力叶わざるゆえに、諸宗に入りあるきて、種々の讒奏をなす。在家の人々は不審あるゆえに、各々の持僧等、あるいは真言師、あるいは念仏者、あるいはふるき天台宗、あるいは禅宗、あるいは律僧等をわきにはさみて、あるいは日蓮が住処に向かい、あるいはかしこへよぶ。しかれども、一言二言にはすぎず。迦旃延が外道をせめしがごとく、徳慧菩薩が摩沓婆をつめしがごとくせめしゆえに、その力及ばず。
人は智かしこき者すくなきかのゆえに、結句は念仏者等をばつめさせてかなわぬところには、大名してものおぼえぬ侍ども、たのしくて先後も弁えぬ在家の徳人等、こぞって日蓮をあだするほどに、あるいは私に狼藉をいたして日蓮がかたの者を打ち、あるいは所をおい、あるいは地をたて、ある
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(109)破良観等御書 | 建治2年(’76) | 55歳 | 弥四郎〈光日尼子息〉の縁者 |