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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 答えて曰わく、法華経には「諸経の中において最もその上に在り」と説かれて、この法華経は一切経の頂上の法なりと云々。大日経七巻・金剛頂経三巻・蘇悉地経三巻、已上十三巻の内、法華経に勝ると申す経文は一句一偈もこれなし。ただ蘇悉地経ばかりにぞ「三部の中において、この経を王となす」と申す文候。これは大日の三部経の中の王なり。全く一代の諸経の中の大王にはあらず。例せば、本朝の王を大王という。これは日本国の内の大王なり。全く漢土・月支の諸王に勝れたる大王にはあらず。法華経は一代の一切経の中の王たるのみならず、三世十方の一切の諸仏の所説の中の大王なり。例せば、大梵天王のごときんば、諸の小王・転輪王・四天王・釈王・魔王等の一切の王に勝れたる大王なり。金剛頂経と申すは真言教の頂王、最勝王経と申すは外道の天・仙等の経の中の大王、全く一切経の中の頂王にはあらず。法華経は一切経の頂上の宝珠なり。論師・人師をすてて専ら経文をくらべば、かくのごとし。
 しかるを、天台宗出来の後、月氏よりわたれる経論、ならびに天竺・漢土にして立てたる宗々の元祖等、修羅心をさしはさめるかのゆえに、あるいは経論にわたくしの言をまじえて事を仏説によせ、あるいは事を月氏の経によせなんどして私の筆をそえ、仏説のよしを称す。善無畏三蔵等は法華経と大日経との勝劣を定むるに理同事勝と云々。これは仏意にはあらず。仏説のごとくならば、大日経等は四十余年の内、四十余年の内にも華厳・般若等には及ぶべくもなし。ただ阿含小乗経にすこしいさてたる経なり。しかるを、慈覚大師等は、この義を弁えずして善無畏三蔵を重くおもうゆえに、理同事勝の義を実義とおもえり。