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る上は、おそれをかえりみず申す」と、こまごまときこえしかば、なにとなく生国の人なる上、そのあたりのことははばかるべきにあらずとて、入れたてまつりて、こまごまとこしかたゆくすえかたりて、のちには、「世間、無常なり。いつと申すことをしらず。その上、武士に身をまかせたる身なり。またちかく申しかけられて候こと、のがれがたし。さるにては、後生こそおそろしく候え。たすけさせ給え」ときこえしかば、経文をひいて申しきかす。彼のなげき申せしは「父はさておき候いぬ。やもめにて候はわをさしおきて、前に立ち候わんことこそ不孝におぼえ候え。もしやの事候ならば、御弟子に申しつたえてたび候え」と、ねんごろにあつらえ候いしが、そのたびは事ゆえなく候べけれども、後にむなしくなることのいできたりて候いけるにや。
人間に生をうけたる人、上下につけてうれえなき人はなけれども、時にあたり、人々にしたがいて、なげきしなじななり。譬えば、病のならいは、いずれの病も、重くなりぬれば「これにすぎたる病なし」とおもうがごとし。主のわかれ、おやのわかれ、夫妻のわかれ、いずれかおろかなるべきなれども、主はまた、他の主もありぬべし。夫妻はまた、かわりぬれば心をやすむることもありなん。おやこのわかれこそ、月日のへだつるままに、いよいよなげきふかかりぬべくみえ候え。おやこのわかれにも、おやはゆきて子はとどまるは、同じ無常なれどもことわりにもや。おいたるはわはとどまりて、わきき子のさきにたつ。なさけなきことなれば、神も仏もうらめしや。いかなれば、おやに子をかえさせ給いてさきにはたてさせ給わず、とどめおかせ給いてなげかさせ給うらんと心うし。
心なき畜生すら、子のわかれしのびがたし。竹林精舎の金鳥はかいごのために身をやき、鹿野苑の
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(108)光日房御書 | 建治2年(’76)3月 | 55歳 | 光日尼 |